本を3冊と編み物を持って、コメダ珈琲に来ている。隣の席で女性3人組が途中でおしゃべりを挟みながら何かの打ち合わせをしている。半分そちらに意識を取られながら、持ってきた本を読む。昨日、とても感じの良い本屋さんで、詩集とZINEを買った。その2冊と、年末年始に読もうと思っていて一文字も読んでいない本を持ってきた。3冊も読めるはずないのに、つまみ読みができるように持ってきてしまった。
昨日家に帰ってから、買った2冊の本のページを開いてみて、自分の好きそうなものを嗅ぎ分ける嗅覚の鋭さににんまりとした。音楽でも本でも、これは私のためのものだ、と思わされるようなものに出会うと胸がいっぱいになる。詩集に関しては、私が好きだということをもうすでに知っていた。昔図書館で借りたことがあり、あまりに良くて胸に刺さった一節をスマホのメモに残していたのだ。つい最近自分のための読書メモ兼言葉帳を作り始めて、そこにも大切に書き込んである。読み直してみると、すべてのページの言葉が美しくて、言葉帳にもっと追加したくなった。図書館で借りた時に、何度も声に出して読んだことを思い出す。誰にも聞かれたくない、秘密にしておきたいけど、声に出して読まずにはいられない。図書館の隣の公園で、小さくつぶやいていた。
ZINEは初めて読むもので、著者の方のことも存じ上げず、完全に直感で購入を決めた。読み始めてすぐにこの人のことをもっと知りたいなと思った。SNSで名前を検索すればすぐに出てくるだろうと思うけど、それはZINEを読み切ってからにしようと思った。何も知らない状態でこの日記を読みたい。読みながら、このZINEを選んで購入した自分ありがとう、と思った。書かれている内容の全てが私にとって親しいものに思えて、取りこぼさないようにゆっくり読む。ショッピングモールでお得なクレジットカードの登録の勧誘を受け断りきれなかった、というエピソードを読み、つい最近全く同じ経験をした私は、誰かが書いた私の日記を読んでいるみたいで不思議な気持ちになった。文章は書いた人のためのものだと思っているので、私のためのものだと思うのはめちゃくちゃなエゴである。でもそれくらい、上手く言えないけど、なんか、よかったのだ。
ちなみにコメダ珈琲にいる今、私は用事をこなしているパートナーのことを待っている。3時間の待ち時間中なのだ。私はこの時間が好きで、パートナーの用事について行く。誰かを待っている間の何をしても何もしなくてもいい時間が好きで、普段の時間との違いを考えるけど、よくわからない。そんなことより待ち時間は特別にいい時間なのだ。と思いながら ZINEを読んでいたら、同じようなことが書いてあり、やっぱりこれは私のための本だし、この人のことが好きだなぁと思った。隣の席では1番よくしゃべる人による「台湾で死にそうになった話」が始まった。めっちゃ気になる。このまま記事を書いているふりをしながら話を聞くか、編み物に取り組もうか悩んでいる。