急に自分語りがしたくなりました。なぜなら隙があったので。今更ながら自分語り自己紹介をさせてください。誰かに話しかけたい気分なので喋り口調で書こうかな。ちょっと変な感じ。
私は女です。小学生くらいの時、自分のことを俺と言ったり男児服を好んで着ていた時期もあったけど、めっちゃべとべとした女です。関東の田舎に生まれて、二十歳前後で雪の降る地方都市に移り住みました。私は両親のどちらにもちょっとずつ似ています。私は両親に似て外面のいい変な人だと自認しています。子どもの頃から変だね変わってるねと言われて大人になり、身を置く場所を自分で決められるようになった頃、私よりもっと変な人たちと出会いました。一番最初に目に入った変な人とその後結婚しました。次の4月で31歳になります。
天使と内面世界
30年間割と普通に生きてきたけど、私は生きるのが下手だなぁと思っています。私が生まれる前、母のお腹の中で心臓が止まりました。急いで母の腹から出されて、すぐ救急車に乗って数ヶ月入院しました。目に見える障害が残らなかったのは医療のおかげです。私は何かに縋るとしたら、近所の神社か医療に縋ることにすると決めています。病気になった時、医者を信じるのが一番安全だと信じています。だから両親に精神薬を飲むなと言われても、私は毎日ちゃんと飲みます。病気や障害を前にして個人の人間ができることは、医者を信じて治療に前向きになることだけです。
小学生の時、私は少しスピっていました。心の中に天使が2匹くらいいて、幸せを感じたらその天使に感謝しなくてはいけませんでした。初めはいいことがあった時に感謝するくらいだったけど、気づいたら常に何かに感謝していました。例えば朝起きられてありがとう、服を着ることができてありがとうという具合に常に心の中で感謝の意を述べなければならず、私の意識はいつも内に向いていました。他にも私にとって大事なおまじないがいくつかあって、そのおまじないを心の中で唱えないと次の日先生に怒られると信じていました。今考えると強迫性障害じみているなと思います。私の脳みそは意識を内側に向ける癖がすっかりついてしまって、心の中に天使がいなくなってからも、実際に生きている生活と別の生活が私の内面で繰り広げられています。実際の私はシャワーを浴びていながら、内面の私は居酒屋で友達とお酒を飲んでいたりするのです。私は2つの世界で生きているのです。たまに2つの世界のバランスが崩れて、内面の世界に飲み込まれることがあります。そうなると実際の世界での行動が疎かになって、いつまでも1人で喋り続けたり、シャワーを浴びようと浴室に入ったはいいものの体を洗う工程が進まず、2時間経っても出られなかったりします。私はよく内面世界で実際の世界の練習をします。人と会う前に内面世界でその人に会ってどんな顔でどんな話をするか練習をするのです。私の内面世界は私の安心のためにあるのかもしれません。私は実際の世界で安心して過ごすことが難しいのです。常に不安感、緊張感と共に過ごしています。安心感を増やすためのお守りが心の中の天使やおまじないや内面世界なんだと思います。
拗らせカルチャーペラペラ女
現在の私の周りには音楽や映画、漫画などのカルチャーに明るくて楽しそうに生きている人がいっぱいいますが、私はカルチャーに明るくありません。自分の好きなものに詳しくてのめり込んでいける人に憧れていますが、私は好きなものの浅いところを行ったり来たりして満足してしまう質なのです。私の両親は映画もあんまり見ないし、音楽を聴いているところもあまり見ません。子どもの頃、私の興味は動物に向いていました。動物に関する本を読み、ムツゴロウさんみたいになりたいと思って知識を蓄えていました。今でも動物は好きだけど、そんなに詳しくありません。小児喘息持ちだったため、動物を飼った経験もあまりありません。うさぎを飼っていましたが、咳が出てしまうため庭で飼っていました。人間の居住スペースで動物が一緒に自由に暮らしている暮らしに憧れていますが、片付けができないので今後も無理そうです。SNSで動物の動画を見るだけの中途半端な動物好きが私です。
小学校高学年の時、母が声優にハマり、私も同じ声優を好きになりました。アニメが好きになり同じ趣味の友達ができましたが、当時流行り始めたYouTubeやニコニコ動画の話題にはついていけませんでした。実家のパソコンはインターネットが通っていなかったのです。私は特定の声優が好きでアニメも見るけど、オタク文化を全く知らない喋り方が早口なだけのにわかオタクになってしまいました。
中学生のとき、初めて好きな音楽に出会いました。シドというバンドです。アニメが好きだったので、アニメの主題歌で知りました。それからヴィジュアル系バンドに興味を持ち、ファッションもその方向に寄っていきました。KERAというファッション雑誌を読んで、ダークで遊び心のある服が好きでした。地元の電車の中で知らない人にヒソヒソと服装をディスられるたびに、私はみんなとは違うんだと誇らしく思っていました。しかし、ヴィジュアル系バンドを掘るにあたって、問題がありました。実家のパソコンはインターネットが通っていません。携帯はガラケーでYouTubeは数分ごとに分割でしか見れないので、音楽は聞けません。ニコニコ動画も見れないし、音楽のサブスクもありません。私が音楽を聴く方法はCDをレンタルするしかなかったのですが、アンダーグラウンドなヴィジュアル系バンドは田舎のゲオやツタヤには置いてなかったのです。結局私はメジャーなヴィジュアル系しか聴くことができずに、聴くことのできないヴィジュアル系バンド達を音楽雑誌で眺めてどんな曲を演奏するのか想像したのでした。こうして私はメインカルチャーに馴染むことはできず、一見サブカルに見えて浅瀬でぴちゃぴちゃやっているだけの中途半端なペラペラ女になったのです。
高校生の時、軽音学部に入りました。吹奏楽のパーカッション経験者だったので、楽器はドラムにしました。結構上手だったと思います。バンドが好きな子達と組んで、隣県のライブハウスでライブをするようになりました。練習もライブもバリバリやっていたけど、正直部活の子達やライブハウスで出会う他の学校の子達にも私は馴染めていませんでした。音楽をあまり知らないからです。それまで周りで音楽を聴いてる子はジャニーズ好きな子しかいなかったので、RADWIMPSですら高校に入ってから知りました。同じバンドの子から教えてもらったバンドはすぐレンタルして聴くようにしていたけど、その頃の私にはほとんど良さがわかりませんでした。でもバンドでドラムを叩くのは楽しかったのです。
大学生になってまたバンドをやるか悩みました。私は音楽を知らないことがコンプレックスになっていて、音楽好きな人たちとはまた馴染めないんじゃないかと思ったのです。一年生がみんなサークルに入った後、少し遅れて恐る恐るバンドの練習の見学に行きました。そしたらめちゃめちゃ変なドラムの人がいて、何が何だかわかんない気持ちになりました。でもなんかすごく心が動いて、軽音サークルに入ることに決めました。そのめちゃくちゃ変なドラムの人と今は婚姻関係を結んでいます。サークルに入ってみると、変なのはその人だけではありませんでした。ほとんどみんな変でした。私は好きなバンドの名前を他人に言えないほど拗らせていたけど、誰からも馬鹿にされた記憶はありません。地元から遠く離れた土地で、居心地の良い人たちに囲まれて、自分の居場所は自分で決めて良いんだと知りました。一人暮らしのアパートがすっかり自分の家になった頃、やっと手に入れたiPhoneとWi-FiでYouTubeやニコニコ動画を見ていろんなバンドやボカロの曲を毎日聴きました。あの頃欲しかった栄養を求めるように、1人の家でただ音楽を流して揺れているのが心地よくて、何かを好きになるのって意思じゃないんだなぁと思いました。私は昔から自分という人間をキャラクターのように見ていて、動物好きなのもヴィジュアル系にハマろうとしたのもどちらかというと意思によるものだったのですが、YouTubeで次々にいろんな曲や動画が提案されて流れてくるのは私の意思によるものでなくて、意思がなくても物を好きになれることが私にとって新しかったのです。私はいまだに何にも詳しくないけど、自分の居場所は自分で選べているし、時々ライブハウスに行く音楽との距離感もちょうどよく、これはこれでいいかとこの歳になってようやく思うのです。
私は私がきらい
私が劣等感を初めて抱いたのは幼稚園に通っている頃でした。幼稚園児の時、仲の良かった友達は園で一番のしっかり者でした。マーチングでは先頭でバトンを振るたった1人の大役を任されていたし、終業式の日に先生から特別にメダルももらっていました。それに比べて私はいつもぼーっとしているか泣いているかで、どこに座るかも自分で決められないし、卒園制作の大きな絵も私には描けないと思ったし、へびじゃんけんのルールもよくわからない。ある日私はこの子にぶたれるべきだと思って「私のことぶっていいよ」といいました。その子はびっくりした顔をしてぶたずに、家に帰ってお母さんに話したそうで、その話は私の母の耳にも入り、そんなこと言っちゃだめよと言われました。私が強い自罰的な劣等感を抱いた一番古い記憶です。小学校低学年くらいの頃には私は自分がかわいくないことがわかっていました。いつのまにかスカートやお気に入りのワンピースも着なくなって、男児用の服を好んで着ました。突拍子もない変な行動をしたり、乱暴な振る舞いをしたり、突然大きな声で歌ったり踊ったりと、恥ずかしがり屋でおとなしかった幼少期とは別人のように振る舞っていました。おちゃらけた男児みたいになりたかったのかもしれません。この頃のことはなるべく思い出したくありません。
中学生くらいから服が好きになって、それからずっと服は私の味方をしてくれました。お気に入りのものを身につけて、私はこれが好きですと表現できるのは気分のいいものです。これが私ですとぶら下げておくものが顔だけだとしんどいけど、服は自分で選べるのでそれが嬉しいのです。服だけではなくて、髪・メイク・爪など大人になって選ぶことができる自分が増えていくにつれて、私は私のことを醜いとは思わなくなりました。それから自分で自分の居場所を選べるようになってからは、周りに私と似たものを感じる人たちがいることに気がつきました。その人達のことが私は好きでその人の中に私のかけらが見えるから私は手当たり次第に私を嫌うことができなくなりました。私は私の中に好きな部分も嫌いな部分もあると思えるようになりました。今でも私の持ち得ないものを持っている人を見ると、劣等感で死にそうになります。でも私が今居心地の良い場所に居られること、周りに好きな人たちがいること、私が恵まれていることを忘れないことで、私は私を罰さなくて済むと思うのです。私の今の年齢は母が私を産んだ歳で、30歳の私は仕事も子どももなく自分が元気になることに精一杯です。私はいまだに与えられる側なことに焦っています。この間実家で1週間過ごして、親より先に死んじゃだめだ、いつか親孝行しなきゃだめだと思いました。生きていける燃料がまた増えました。私は私を殺したくない。もうすぐ31歳の記録です。






